みなさんこんにちは! 神崎なつめです。
またよくわからない考察記事を量産しようとしているところです。
日本文化などに興味がある方は是非読んでください。
今回は、メディア論を履修し、色々と研究しているうちに見つけたコギャル派生の仮説を紹介します。
コギャルの時代背景
「コギャル文化」ができた1990年代の日本社会は、高度消費社会体制の発展に従い、文化メディアの乱立に伴う感性や嗜好の細分化、セクシュアリティの過剰な露出や性的スキャンダルをめぐるモラルパニックなど、若年女性をめぐる文化的環境は大きく変わっていった時代です。
文化的嗜好の細分化は、若年女性を巡って多様な文化的・社会的言説やイメージが競争・交差・抗争していきました。
また、当時はハイティーン層と10歳前後の若年女性の層とでは、文化背景が大きく異なっていました。
このことから、ハイティーン層を中心とした「パラギャル文化」と10歳前後の若年女性層を取り巻く「コギャル文化」に注目し、比較研究をしていたところ、見つけたのがコギャルの派生ルートが2つある可能性です。
ギャルから派生したパラギャル(コギャル)
89年に実施された大学生・高校生に対する調査では、「ギャル」に特徴的なのは金力・家柄などいわゆる育ちが問題にされないこと、容姿・服装・行動面では流行に敏感であること、性格・雰囲気では明るさ、賑やかさがあるといったイメージや属性が浮かび上がりました。
当初は明らかに「ギャル=女子大生」とされており、83年に始まった深夜番組「オールナイトフジ」に象徴される女子大生ブームとリンクしていました。
そして、85年放送開始の「夕焼けニャンニャン」をきっかけに女子高生ブームが起こり、また、80年代に私立女子高生を中心にスクール・アイデンティティの一環として制服のモデルチェンジがブームになったこともあり、女子高生自身が女子高生であることの価値に徐々に目覚め始める様になります。
そして1988年3月8日号『週刊プレイボーイ』は、「いまどき女子高生『ズル族』の時代だ!!」と題して、
「ズル族は立派なニッポン・ギャルのこと。それも女子高生の姿カタチをしている。そんでもって、外見のカワイさを利用して、全ての男を自分に便利な“ズル”(金ヅルのヅル)にしてしまうギャルたちなのだ。さらに、たいしたこともないけど“ズル”いとこもあるので、名づけて“ズル族”」
という特集を組みました。
このように、80年代後半の社会は、「女子高生という記号」に熱い視線を送り始め、「ギャル」の指示対象は、低年齢化を始めていました。
また、90年代にはパラギャル(パラダイス=ギャル)というギャルが登場していきますが、何人かが自分たちのスタイルを表現するのに使っていたのが「コギャル」でした。
これは男性誌などでは最近よく使われていて、要するにイケイケ・ボディコンにデビューする手前の、遊び人の女子高生を意味している場合が多いです。
ギャル自らも、積極的に自分たちのコギャルさ=軽さをアピールしていました。
彼女たちは、自分たちの女っぽさ、可愛さを武器にしたいがために、手っ取り早く表現できるパラギャルアイテムを選んでいきます。
そして次第に、女子高生のイメージが性的な記号として氾濫していきました。
また、1993年のブルセラ報道で性的スキャンダルが話題になり、1993年12月10月号『FRIDAY』は「ブルセラを超えたマゴギャル(パラギャルの中学生を指す別名)女子中学生『夜の性態』」と題し、街での夜遊びが中学生にまで広がっていることを報じています。
これは、「失敗しても大目に見てもらえる」など、自己責任は追わないで済むものとして自由を満喫し、その自由が期限つきであることを承知していたためです。
その上、マスメディアの注目や、女子高生をターゲットにした商品開発、店での女子高生に対する得点や優待制度によって、女子高生は「社会の中心・時代の主役・社会的影響力が強い」という感覚を芽生えさせたことにもよると考えられます。
雑誌『りぼん』から憧れとして普及したコギャル
さて、女子高生にまつわる性的スキャンダルが社会的注目を集めていったのは、1993年のブルセラ報道に端を発しています。
女子高生自らが着脱したブルマや制服を成人男性に売却する風俗産業が流行し、これはメディアでも話題になっています。
その後も、デートクラブや援助交際、覚醒剤やAV出演など、女子高生が主体となった性犯罪や違法行為が広がっていきました。
そして、メディアはこれらの事件を倫理観の欠如や内面の不透明性によるものだと指摘しています。
しかし、90年代中頃から、性的なニュアンスを持つ「ギャル」から「コギャル」という文化が派生しました。
それとともにコギャルの愛用する、『ルーズソックス』や『たまごっち』、『プリクラ』や『ポケベル』といった消費アイテムが広い消費者層に普及していきます。
この時代、コギャルは都市文化や消費文化のトレンドセッターとみなされていったのです。
そのため、90年代半ばから後半には、ハイティーン層向けの少女漫画や20代女性を主要読者層とするヤングレディース誌においても、コギャルを彷彿とさせる登場人物が増加していきました。
しかし、その頃はまだ社会がコギャルに対して否定的な感情を持っていました。
そのため、有名作品である藤井みなほ氏の描く『GALS!』という、学校を舞台とする作品においても、平然と勉強や校則を無視し、渋谷での消費に明け暮れ、将来への夢や未来への企図をもたず、刹那的な欲望の充足を第一義に置く、典型的なコギャルなどが造形されました。
この作品の特徴は、少女読者にコギャル的なファッションやコーディネートを教示する点にあります。
こうした企画は読者から大きな反響を呼び、読者がコギャル文化に関心を寄せる契機としても作用していきました。
これは、単行本のミニコラム欄にも影響を及ぼし、藤井みなほ氏は、渋谷訪問記に加え、十数回に渡って「コギャル」の流行服や装飾品に関するファッション講座を実施していくようになりました。
これにより、作者と読者の双方向のコミュニケーションの場が形成され、読者がコギャルについて読み、学び、描き、真似るという循環的な学習の回路が整備されていったのです。
そして、このコラムで藤井みなほ氏は幾度となく小・中学生女子の身体的特徴や社会的・経済的制約を強調しており、そうした制約の中で「コギャルらしさ」を追求していきました。
その上、「とにかく“色っぽさ”とかはムシ!!『お子様ギャル』でイバるべし!!」といったように、セクシュアリティを喚起する過激な要素は捨象されており、過度なセクシュアリティに関しては、抑圧的な姿勢が貫かれていきます。
しかし、1990年代半ばから後半にかけては、援助交際のほか、薬物、万引き、恐喝など、コギャルが関与したとされる犯罪や違法行為が目立つようになっていき、時に犯罪的な若年女性集団としてコギャルが報じられるようになってきました。
そこで藤井みなほ氏は「全てが悪さをするコギャルではない」と、メディアの短絡的な姿勢に疑義を示し、作品の主人公が「安いコギャルとは違う」というセリフを述べる様に、「性的に放埒」なコギャルとみなされることに対して繰り返し否定の身振りを示しています。
また、性愛に対する態度は「コギャル」を階層化する基準となっており、「性的に放埒」であることは、むしろギャルにとって劣等な根拠ともなっています。
これは、コギャルであるからこそ貞節であらねばならないという、純潔規範を基底に据えた「コギャル観」に他なりません。
また、作品における身体描写も徐々に肉体的な身体描写は衰退していき、「かわいらしさ」が作画において優先され、男性からの眼差しを排除するかの様に、肉体性を欠いたフラットな身体表象が前景化されています。
こうして、セクシュアリティを喚起するコギャル的な衣装に身を包み、大胆に身体を露出する一方で、その身体が孕むセクシュアリティは曖昧化されていったのです。
そして、セクシュアルな衣装とは対照的に、性的に未熟な少女として造形されているのでした。
次第に『りぼん』でのお約束とされた「異性との恋愛」も排除されていく様になっていきます。
これらは、社会問題化されたコギャルを無害化し、少女読者の憧れの対象とするための必然的な方途であったと言えるでしょう。
性的なコギャルと非性的なコギャルの2ルート
今までお話ししたように、女子高生が女子高生である価値の目覚めをきっかけに、女子高生である自分を売り出す様になったことがわかると思います。
また、その売り出しの方法としてギャルがパラギャルアイテムを選び、責任を取る必要がない年齢も相まって、共犯としての「援助交際」などにより金銭を得て、いっときの楽しみに明け暮れていた実態が見えてきました。
雑誌『りぼん』においては、「コギャル」は性的な要素を排除したものとして描かれてきましたが、それは年齢的な問題や、健全な雑誌を目指す『りぼん』から普及していったことが大きな要因となるでしょう。
また、『りぼん』という大衆が読む雑誌でコギャル文化が教示されたことや、コギャルが好む消費アイテムが一般に普及されていたことが、コギャル文化を広げていく要因となったのは言うまでもありません。
しかし一方で、女性としての魅力を売りにしたパラギャルの一部が自らを「コギャル」と称していたこともあり、「コギャル」が性的な記号としてメディアで映し出されていったようです。
コギャル文化の流行に発端とも言える藤井みなほ氏が小・中学生の女子にターゲットを絞り、彼女らの持つ制約と、その制約の上でできるコギャルを教示していったために、小・中学生の間でこれらが流行していった「コギャル」とは、似ても似つかないものになったと考えられます。
更に言えば異性に対して「女性を売り」としたパラギャルと、性に対して純粋で異性に対する恋愛も排除し、「異性の目を気にしなくなった」コギャルとでは、全く「性」に対して逆の性質を持っていると考えられます。
文化メディアの乱立の時代にあった中、言葉だけが意識として浮かび上がり、異なった性質の「コギャル」が混在していたと考えられないでしょうか。
私は、「パラギャル」と「コギャル」が全く異なったものであり、「パラギャル」の一部が「コギャル」と名乗ったことで『りぼん』側のコギャルが謂わば風評被害を受け、更に性を排除した性質のものとして発展を遂げていったのではないかと考えたわけです。
まとめ
メディアは、『パラギャル』など、細かなギャル文化を把握していません。
そのために、『コギャル』が混同していったように思います。
みなさんはどう感じたでしょうか?
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参考文献
1)小林美恵子(1992)「愛される理由が『お嬢さん』なんて:お嬢さん、お嬢さま、娘さん、狼さん、ギャル」遠藤織江編『女性の呼び方大研究』三省堂
2)佐藤りか(2002)「『ギャル系』が意味するもの:〈女子高生〉をめぐるメディア環境と思春期女子のセルフイメージについて」『国立女性教育会館研究紀要』6号、国立女性研究会館、P.45〜57
3)杉本章吾(2014)「『りぼん』における『コギャル』の受容と変容:藤井みなほ『GALS!』を中心に」『文藝言語研究.文藝言語篇』66巻、筑波大学、P.33〜60
4)難波功士(2006)「戦後ユース・サブカルチャーズをめぐって(5):コギャルと裏原系」『関西学院大学社会学部紀要』100号、関西学院大学、P101〜132
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