【考察】『高瀬舟』における「喜助」は凶悪犯?

『高瀬舟』完全犯罪説

みなさんこんにちは!神崎なつめです。

今日は変化球のネタでいきます。実は神崎はこういうのが大好き。

本を捻くれた視点で論理的に読み取っていこう!

ということで、『高瀬舟』の「喜助」を凶悪犯として読んでいく方法をお話ししたいと思います。

『高瀬舟』とは?

本題に入る前に、『高瀬舟』に関する共通認識を持ちたいと思います。

『高瀬舟』といえば、道徳の授業でもよく取り上げられる、森鴎外の作品。

江戸時代を舞台にした京都の罪人を護送する話で、高瀬舟での護送は、「心得違い」のために罪を犯した者が多く、今回の護送人である「喜助」も弟が自殺に失敗し、苦しんでいたために解放したことで、嘱託殺人の罪を犯したとされています。

また、この作品は、「ユウタナジイ(安楽死問題)」と、「知足」が主要テーマに置かれていると長いこと考えられてきました

ことに、ユウタナジイを主要とした学習が、道徳教育に用いられているわけです。

しかし、捉え方によっては、ユウタナジイを覆し、「喜助」を凶悪犯と捉えることも可能でしょう。今回の本題はここにあります

読者が嵌る落とし穴

さて、ここで質問です。『高瀬舟』における主人公は誰ですか?間違えなく「喜助」と答えると思います。

なぜなら、彼の事の顛末を中心として、物語が展開されるからです。

しかし、これこそが落とし穴。この作品の最大の特徴は、護送の役目を負った童心「羽田庄兵衛」の視点で展開し続けられていることにあるのです。

さらに、彼は「喜助」に多くの質問をせず、自分の心のうちで自己完結しています。つまり、この物語は「羽田庄兵衛」の主観でしかない!

こうした読者の錯覚を利用した作品展開をなぜ森鴎外が行ったのかを突き詰めている研究者は、私の知るところではいません。私はこここそが、皆の盲点であると考えたわけです。

このように読者を騙した理由を一つ仮設しておきましょう。

なぜ主人公を「喜助」だと勘違いさせたのか。それは「喜助」が知能犯だったからではないだろうか…。

結論に至る理由は、「羽田庄兵衛」が主人公であることを隠した場合に起こるカラクリに由来します。

具体的には、「羽田庄兵衛」が主人公ではないと思わせることで、物語中の「喜助」が「羽田庄兵衛」から見た「喜助」であるという当たり前の状況を隠蔽しているのです。

ここで、勘の良い人は気付いたかもしれません。そう、これこそが読者すら騙した完全犯罪の幕開けというわけです。

『高瀬舟』における主観情報を抜いてみる

となると、すべきことは一つです。主観情報を抜いて、事実として存在した状況だけを洗い出すことですね。

『青空文庫』の文章を拝借して、洗い出しを行なっていくこととします。

まず先の指摘通り、喜助は羽田庄兵衛の意図の分からない質問に、居住まいを整え、顔色を伺った。

羽田庄兵衛の意図が分かると、喜助はにこりと笑う。

島流しを嬉しく思っていると語ったものの、途中で話をやめる。

そして、言い訳だけをして、必要以上には語るのをやめた。

⻑い沈黙の末に、「さん」付けという羽田庄兵衛のおかしな行動に、喜助は顔色を伺う。

そして、事情を説明するのに、わざわざ自らが「心得違い」であることを強調して説明し始めている。

客観情報だけを読んだ時に浮かぶ疑問点

まず、とんでもない思い違い、あるいは考え違いをしたのであれば、なぜ現状、島流しでの自由な新生活を喜ぶのかと言う点で疑問が否めないでしょう。

思い違いをしたのなら、かつてより自分だけが状況の良くなってしまう現状に素直に喜べるだろうかと疑問です。

また、婆さんに丁度引き抜 く現場を目撃されたために、結局弟は息絶えたものの、うまく切れていないで終わっています。そして、なぜかわざわざ婆さんの動きを多く語っているのかという点も不審ですよね。

以上の客観的な状況を見ると、「喜助」は酷く「羽田庄兵衛」を警戒していたことがわかるのではないでしょうか。その上で完全犯罪をやり遂げている。

これを見事に隠している森鴎外に、どうして「喜助」が隠蔽工作をしているという意図が込められていないと言えるのでしょうか。

「羽田庄兵衛」の視点が抜けただけで、かなり奇妙な物語が浮き上がってくるわけです。

まとめ

実は、研究者の間でお遊びになっている裏『高瀬舟』

しかし、実は作者の意図で書かれた真実の物語なのではないかと私は考えるわけです。

実際に森鴎外がどう思っていたかは、資料として残っていないため定かではありません。

しかし、これだけ辻褄が合ってしまうのも事実です。

このことに対し、どう思うかについては、ぜひ検討いただきたいと思います。

最後に、一応『高瀬舟』のフォローとして、補足を足しておきます。ご興味のあるかたは是非目を通してみてください。

補足

森鴎外は、勢いで書く文学者です。それ故に、人物設定や舞台設定に甘さがあるという指摘も多い人物。

深く突き詰めてしまうと、物足りなさを感じる所謂リアリテ ィーに欠ける作品というのも数多く存在しています。

以上から、今回のような裏『高瀬舟』は作者の意図に反したところで繰り広げられたのではないかと研究者も指摘しています。

とすれば、やけに喜助が自殺現場を把握していたのは、森鴎外自身が軍医であり、医術に関して無知な人間がどの程度の知識を持っているかを考慮に入れていなかったためとも取れるでしょうね。

引用文献
1.森鴎外 (̶) 『高瀬舟』 ⻘空文庫 www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/691_15352.html(2019年3月16日最終閲覧)

参考文献
1.齋藤美喜・齋藤勝 (2011 年̶月) 「『高瀬舟』の現代的解釈(1)文学・法学・看護 の視点から安楽死の検討」 共立女子短期大学看護学科紀要
2.篠原武志 (2010 年 06 月) 「教室という場の「高瀬舟」 : 喜助の立場を中心に(国 語教育部門,第三〇回研究発表大会・発表要旨)」 日本文学協会
3.高野奈保 (2015 年 08 月) 「<例外>の物語 : 森鷗外「高瀬舟」論」 立教大学日 本学研究所
4.村上 美津子 (1980 年 08 月) 「羽田庄兵衛の発見 : 『高瀬舟』(鴎外)へのアプロ ーチ(<特集>全国集会報告レジュメ・第 2 部)」 文学教育研究者集団
5.柳澤浩哉 (2010年06月) 「『高瀬舟』の真相–小説史上,最も読者を欺いた殺人犯」 広島大学日本語教育研究

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